羽後矢島(うごやしま)の機関区から、 まだ少年の機関士でした。 戦争で、働きざかりの機関士たちがどんどん兵隊にとられてしまい、 乗務を通じて鍛えて鍛えて、無理をさせても頑張らせ。 そうやって、ようやくのこと、機関士になれた少年でした。 兵隊にとられた機関士は、帰ってきません。 兵隊にとられた機関士は、
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。 「あーん、あーん、あーん、あーん」 年若い蒸気機関車は、いつの間に、 「ああ……ボクは泣いてる。声がでる」 だから、年若い蒸気機関車は知りました。 自分が、つくもがみ―― 「……あんまり悲しい思いを、 何人も。何人も。何人も。 仲良くなった機関士さんが、機関助士さんが、 戦争にとられ、二度とは帰ってきませんでした。 少し前まで、美味しい石炭をたくさん食べて走るときには、 けれども今は、 走ることさえ、いまではすっかり悲しいと―― 「悲しい思いが何年分も、何十年分も積み重なって―― けれど。 人間のような手足を持って、レールがない場所でだって自由に動き回れることは、もっと良いことのように思えました。 だから、年若い蒸気機関車は、思いました。 「悲しい思いで、つくもがみになったボクだけど―― つくもがみになった年若い蒸気機関車は、 「ボクは走れる。機銃掃射もうけたことがない。 そう考えれば、こころが晴れやかになってきました。 「だから、走ろう。走れなくなったみんなの分まで。 ――戦争は、どんどんひどくなりました。 けれど、走って、走って、走って。 「これから、どんどん良くなるぞ!」 年若い蒸気機関車は、そういって、 その笑いに答えるように、 それを見届け、安心して。 もっと戦争の被害がひどい、だから、元気に走れる蒸気機関車を必要とする――そんな土地が、日本にはいくらもあったからです。 東小倉で。豊後森で。鹿児島で。 走って、走って、走るうち―― 他の蒸気機関車のつくもがみたちとも知り合いになりました。 そうしたつくもがみは、みんな名前を持っていました。 長い時間、大事に大事にしてもらい、愛情をたくさんそそいでもらい、そうしてつくもがみになったから。 大事にしてくれただれかが――彼女たちに、名前をあげていたのです。 「名前がないなんておかしいよ」 そういわれた、今はもう若くなくなった蒸気機関車は、一生懸命、自分の名前を考えました。 C12の、241。241。241。 一生懸命考えるうち、フジイ、という名前が思い浮かんできました。 C12 241をつくもがみにした――兵隊に取られてしまったあの少年――そうして結局、最後まで帰ってくることはなかった機関士の、それは名字でした。 「ボクは、フジイだ。C12の、フジイさんだ」 それは、おかしな名前でした。 けれど。 それが大事な名前なのだと、強く、伝わってきたからです。 「いいなまえだね、フジイさん」 ほめてくれたのはB20 10―― 「ありがとう。おちびさん」 お友だちができて、名前もついて。 楽しい楽しい鹿児島時代には、晴れ舞台まで経験しました。 おちびさんのB20 10と、きむずかしやのC55 10と、とてもおしゃれな48696と――そうして、フジイさんのC12
241と。 「本線に出て、客車をひけるなんて思わなかった!」 おちびさんの喜びようったらありません。 三両に満員のお客さんたちも、笑って、しゃべって、とても美味しそうなおべんとうを食べて、みかんをわけあっていました。 もちろん、石炭も上等な瀝青炭(れきせいたん)です。 「走り続けてきてよかった!」 フジイさんも、明るく、軽く、笑って。 「ボクはもっと、たくさんの笑顔を運ぶんだ!!」 けれどそのとき――
廃車になって。 高森線の高森駅前に、静態保存されることになったのです。 お化粧がわり、ということなのでしょうか? 切り詰められた門デフを新しくつけられたC12
241の姿は、 「おかしな格好! だからやっぱり、フジイさんは、明るく軽く、笑います。 「そうしたら、ボクに代わって走り出す、
トロッコ列車の「ゆうすげ号」が走り出すようになると、 ぴかぴかの新車のディーゼル車。 ぴかぴかの新車ですから、つくもがみにはまだなれません。 「やぁふたごちゃんたち。ボクはフジイさん。 「そこにいるって、どこ?」 「そうだね、ボクはもう走れない。 「はしれないのに、きかんしゃなの? へんなのー」 ……まったくもって、ピカピカの新車ときたらナマイキです。 けれど、フジイさんはやっぱりケラケラ、明るく軽く笑います。 「そうだね、ボクはヘンテコなんだ。 「いわれなくてもするもーん」 「ああ、そうだね。本当にそうだ。素敵な仕事だ。 「えがおのおきゃくさんをはこぶほかのしごとなんてあるの?」 ふたごのDB16たちは、本当にナマイキです。 彼女たちが引くトロッコ列車をおりてくるお客さんたちの顔は、 「これはいいな。すばらしいな。 フジイさんは安心したのか、 静態保存されたてのときには大人気だったC12
241も、 「ずいぶん走った! 楽しかった! 居眠りをして、現役時代の夢を見て。 けれど。 フジイさんの静かで幸せな眠りは、夢は。 ひどく、何度も揺れました。 なきわめく声が、車庫から聞こえてきます。 「こわいよう」 ふたごのDB16たちは、すっかり怯えてしまっていました。 「ああ――まだ教えられることがあった」 フジイさんはたちあがり、DB16たちにやさしく声をかけました。 「なにがこわいっていうんだい? 「じしんでゆれるのがこわいよう」 「それはこわいね。さみしいね」 フジイさんは、DB16 01とDB16 02の車体をポンっと明るく、叩きました。 「だけど、ボクは知ってるよ? 「どうして、こわくなくなるの?」 「それはね? とってもかんたんなことさ」 ――たくさんのたくさんの人たちと、フジイさんはお別れしてきました。 空襲に焼かれた町の姿を、フジイさんは見てきました。 かつては走ったレールをたくさん、フジイさんは失ってきました。 だから、フジイさんは。 「人間は、とても強いから。 「そう……なの?」 「うん! きてくれる!」 フジイさんが明るく笑うと、ふたごのDB16たちは、少し落ち着いたようでした。 「きてくれても……だけど、どうにもならなくない?」 「どうしてそんなことを思うんだい?」 「むせんがたくさんとんでるの。はしがおちたって」 「大丈夫」 フジイさんでさえ、苦しいと―― けれども、そうしたときも越え、 「人間は、助け合えるから。 「そう、なの?」 「ああ、必ず。 「なら、もうなかない!」 「うん!」 フジイさんが、明るく、軽く笑うと。 ……フジイさんの笑い声も、 けれど、聞こえなくても―― 地震から、わずか100日ほどのち。 「はしれる! わたしたちまたはしれる!!」 ふたたび走り出したトロッコ列車をおりた人たちは、 「よかったよかった!」 フジイさんは、明るく、軽く、ケラケラ笑い。 「これなら、すっかり安心だ」
その中に、いまもフジイさんはいます。 あなたがもしも声をかけても、笑いかけても、 だって―― 人間は強いということを。 人間は助け合えるということを。 だから、南阿蘇鉄道は――
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